生徒が受け入れ体制に入る瞬間

そして人間が学ぼうとしている瞬間、その瞬間生徒が聞く耳をもって受け入れ体制に入るのがわかるのですが。そんな時先生が発するひと言は相手に無防備に深く突き刺さっていきます。何気なく発した先生の言葉を、私のように一生覚えている人もいるのです。
だから自分のレッスンは、相手が萎縮しないよう注意深く方向を考えながら、本人が楽しみになるように。あってるとか間違いとかじゃなくて、相手がどこを向いていて何を欲しているのか、何が必要で何を排除すべきか、それを模索するものに。そして何げに言っているひと言も十分考え抜いた上で伝えられるように。自分の習い事の経験は、バレエレッスンの思い出も含めすべてが現在の仕事につながる事となったのでした。

圧力をかけたり、おどけてみせたり、パフォーマーな先生も同じかも。ほとほと困り果てるのだよ。

一生覚えている言葉に+1!








関連キーワード

関連ページ

先生のひと言は重い
「どうしてくれんだよ、こいつ。」と、思ったことは幸いまだ1度もないです。先生業をしている時のことです。人間何かを学習しようとしている時には、皆アドバイスを聞く耳を持っている気がします。だからレッスン中というのは、師匠や先輩のひとことに大きく影響される事が。「あの時の先生の進言でこの道を選択した」という人も少なくないと思います。子供の時に習い事をした記憶は、先生が何をどう言ったかと共に覚えていてちゃ
リラックス状態で集中力が増す
夏期の水泳教室など他にも習い事をしましたが、続いたのはピアノのレッスンだけでした。ピアノのレッスンだけは幼少の頃から自分で欲した事で、他は全部親に行けと言われた事でした。音楽業に道を進めた私はたびたび人に音楽を教える立場になりました。すべての習い事の記憶と、習う立場の気持ちを総ざらいで呼び起こしました。しかし印象に残っているのは、習って楽しかったことと、あとはやたらと怒る怖い先生のこと。学生の頃に
「もうわかりません」と先生も思う
私の教え方は自然と「間違うことをおそれない」レッスンになりました。失敗するとか間違うなどは、情緒教育としてはあまり大きな意味を感じませんでした。厳密な意味では音楽に正解も不正解も無いと思っています。しかし実際はバレエレッスンの怒る先生の気持ちが手に取るようにわかりました。もう本当に、いったいどうやったら理解してもらえるかなど、心底困り果てるのです。生徒が泣きたいとき、たぶんセンセーはもっと泣きたい
「やりようがなくてギブアップしたかんしゃく持ち」
というわけで、私の目には「怒っている先生」は「やりようがなくてギブアップしたかんしゃく持ち」。しかし怒ったから出来るぐらいなら、最初から出来るはず。どうしても出来ない所をどう工夫するかが先生の腕の見せどころでしょが。センセーももうちょっと頑張ろうよ。ただ、恐くても優しくても伝えたい内容は同じなんです。知らない事は知ればいいだけ、と思います。私にとっては、習い事に限れば、知らない事は悪事ではないです
生徒が受け入れ体制に入る瞬間
そして人間が学ぼうとしている瞬間、その瞬間生徒が聞く耳をもって受け入れ体制に入るのがわかるのですが。そんな時先生が発するひと言は相手に無防備に深く突き刺さっていきます。何気なく発した先生の言葉を、私のように一生覚えている人もいるのです。だから自分のレッスンは、相手が萎縮しないよう注意深く方向を考えながら、本人が楽しみになるように。あってるとか間違いとかじゃなくて、相手がどこを向いていて何を欲してい